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名古屋地方裁判所 昭和43年(行ウ)12号 決定

原告

有限会社光楽食堂

被告

豊橋税務署長

右当事者間の昭和四三年(行ウ)第一二号課税処分取消請求事件について、

原告から文書提出命令の申立があつたので、当裁判所は、つぎのとおり決定する。

主文

本件申立をいずれも却下する。

理由

一原告の申立は別紙(一)「文書提出命令の申立書」記載のとおりである。

右申立に対する被告の意見は別紙(二)「意見書」記載のとおりであり、右意見書に対する原告の反論は別紙(三)「反論書」記載のとおりである。

二別紙(一)の「文書表示」欄記載の各文書(以下、本件各文書という)を被告が所持していることは、被告も争わないところである。

三ところで、本件各文書は被告が既に証拠として提出済みの乙第一号証の一ないし第二一号証の二の原本である。従つて、原告は要するに、本件申立において、被告が原本の一部を隠ぺいして右乙号証を提出したのに対し、右隠ぺい部分を開示した原本の提出を求めているものである。そして、右隠ぺい部分は、青色による法人税課定申告書等のうち申告者の住所・氏名欄の記載がそのほとんどである。

四そこで先ず、本件各文書(特にその隠ぺい部分)が民訴訟法三一二条一号の「引用文書」に該当するか否かにつき判断するに、本件各文書は被告がその取調べを請求した文書であり、隠ぺい部分はその内容の一部をなすものであるから、被告が訴訟において引用した文書にあたるというべきである。証拠の提出者が一つの文書について、その一部分の内容を準備書面等に引用しないことを理由に、引用文書に該当しないものとすることはできない。すなわち、取調べのために提出された文書の内容の一部分が隠ぺいされているときは、同法三一二条一号該当の文書として、相手方はその隠ぺい部分の開示を求めることができるものと解すべきである。

五しかしながら、民事訴訟法三一二条の文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用されると解すべきである。従つて、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れうるというべきである。

本件各文書は法人税課定申告書ならびにその添付の所得計算明細書類であるところ、前記隠ぺい部分を開示してこれを提出するときは被告ないし税務職員がその職務上知り得た納税者の所得に関する秘密を公にすることになることが明らかであるから、被告は所得税法二四三条、法人税法一六三条等の規定により右の点につき守秘義務があるものである。而して右各法条において、税務職員に対し守秘義務を課した所以は特定の個人ないし法人の所得に関する秘密を保護することにより申告納税制度の適正な運用が期待しうるものであるから、その公表は右制度の運用を紊し、ひいては国の徴税権の行使にも支障を来すことは明らかであり公共の利益を害することになる。従つて本件において、被告が前記守秘義務のあることを主張して文書の提出を拒むのは理由がある。

よつて、原告の本件申立は理由がないから、これを却下することにし、主文のとおり決定する。

(山田義光 窪田季夫 小熊桂)

別紙(一)  文書提出命令の申立書

一、文書の表示

乙第一号証の一乃至乙第二一号証の二の各原本及び右各書証中秘匿部分を開示したもの

二、文書の趣旨

乙第一号証の一関係

豊橋市西口町所在の某法人の自昭和三八年五月一日、至昭和三九年三〇日までの事業年度の所得金額法人税額の確定申告書

乙第一号証の二関係〈以下省略〉

三、文書の所持者 被告

四、立証事実

右各書証記載の法人が営業成績等に基いて差益率を決定することが不当であること。

五、文書提出義務の原因

民事訴訟法第三一二条第一号

別紙(二)  意見書

原告の昭和四六年四月二四日付文書提出命令の申立は却下すべきが相当である。以下その理由を述べる。

一、本件文書は引用文書に当らない。

原告は文書提出義務の原因として民訴法三一二条一号を挙げる。右法条は「訴訟ニ於テ引用シタル文書」と定めているが「引用」の語義からして、それは口頭弁論、準備書面においてその文書を引用することを指すものと解される。すなわち、文書所持人が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限られるのである(兼子一、民訴法条解七九三頁、法律実務構座四巻二八三頁)。つまり、民事訴訟法は、主張と立証を明確に区別しているのであつて、立証とは主張事実の立証方法のみを指し、その段階では「引用」とみるべき事実が介在する余地はないのである。本件の場合被告が本件各文書をその記載事項を一部隠蔽したまま書証として提出したのは昭和四四年九月一二日であり、この提出と同時に証拠説明書を提出しその中で本件各文書の立証趣旨を述べているに止まるのであるから、これをもつて「訴訟ニ於テ引用シタル文書」ということはできない。

仮に、右証拠説明書による立証趣旨の説明を捉えて「引用」に当たるとしても、この説明は「右各号証は、―原告と事業規模が類以の同業A外四名乃至七名の者(A、B、C、D、E、F、G、H)が所轄税務署長あて提出した昭和三八年から昭和四〇年までの各事業年度(法人)及び各年分(個人)の法人税額又は所得税額の確定申告書並にそれに添付された損益計算書、法人の事業概況説明書、青色申告決算書、必要経費の明細の一部である。」旨述べ、隠蔽部分については言及していないのであるから、隠蔽部分について「引用」したとはいえないのである。

そして被告は当初から一部を隠蔽したまま証拠として提出しているのであり、本件各文書については既に証拠として提出ずみなのであるから、今更文書提出を命ずる余地はないというべきである。

二、秘密保持の要請による本件文書提出義務の不存在

民訴法三一二条所定の文書の提出義務は、証人義務などと同様の性質を有する公法上の義務と解すべきものであるから、証人に関する証人義務、証言義務と基本的に変らないものである。したがつて、証人義務について規定する二七二条、二七三条、証言義務について規定する同法二八一条一項一号、三号に該当する事由がある場合には、右法条の類推適用により、文書の所持者には文書提出の義務はないのである(細野長良、民事訴訟法要義三巻四六五頁、東京地決昭和四三年九月二七日判例時報五三〇号一二頁、東京地決昭和四三年九月一四日判例時報五三〇号一八頁参照)。

民訴法二七二条、二七三条及び同法条を引用する同法二八一条一項の「職務上の秘密」に関する規定は、国家の秘密と訴訟における真実発見性との衡量に関して、国家の秘密を優先することを定めている。職務上の秘密に属するかどうか明らかでないため、裁判所が証人尋問の申出を採用した場合でも、証人は尋問事項が職務上の秘密に関する理由を疎明して証言を拒むことができる。この疎明があれば、もはや証言拒絶の当否について裁判所が裁判をする余地はなく(民訴法二八三条)、監督官庁に対し証人尋問の承認を求める手続を採らなければならない、すなわち、尋問事項が職務上の秘密に関する事項かどうかの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は承認を求められた監督官庁の自由な裁量に委ねられている(井口枚郎「公務員の証言拒絶と国公法一〇〇条」実務民事訴訟法講座―三〇三頁、三〇六頁)。したがつて本件文書提出の申立てにおいても、当該文書中の隠蔽部分が職務上の秘密に属することが疎明されれば、もはや裁判所は本件申立てにかかる文書の提出を命ずることはできないと解される。

ところで、民訴法二七二条の「職務上の秘密」には、公務員の所管に属する行政庁の秘密と、公務員が職務上知り得た個人の秘密の双方が含まれるものと解される。本件で原告が提出を求める文書のうち、申告書の附属書類として添付されている「法人の事業概況説明書」(例えば乙一号証の三、四号証の三など)には、「税務署において秘文書として管理する」旨の記載との表示がされていることからして、本件文書は行政上の秘密に該当する。したがつて、それは国家公務員法一〇〇条二項の「職務上の秘密」に当たる。

また、私人の申告所得額の内容は、個人の秘密として他人に知られることを欲しないものと解されるので、それは国家公務員法一〇〇条一項所定の「職務上知ることのできた秘密」並びに法人税法一六三条及び所得税法二四三条所定の「その事務に関して知ることのできた秘密」に当たる。それ故原告の文書提出申立てにかかる文書につき、その隠蔽部分を開示して提出することは公務員(税務職員)の守秘義務に違背することとなることが明らかである。民訴法二八一条一項一号は、証人に証言拒絶権が規定されており、本件申立にかかる文書(申告書、概況説明書など)中その隠蔽部分が職務上の秘密に当たることは、証人小椋照平の尋問の際になされた御庁の求承認手続とこれに対する津島税務署長の回答或いはこれに基く御庁の措置等によつて明らかとなつている。したがつて、本件申立にかかる文書については、被告に提出義務がないので裁判所はその提出を命ずることはできないものと解すべきである。

なお、原告は、文書の提出について民訴法二八一条一項一号の準用が認められるとしても、刑訴法一四四条の類推適用により、国の重大な利益を害する場合にのみ提出を拒み得ると解すべきである旨主張するが、刑事事件と民事事件とはその質を異にするのであるから民事訴訟について刑訴法一四四条を類推適用する余地はない。ちなみに、本件申立てにかかる文書は、いずれも納税者が提出した法人税或いは所得税に関する申告書ならびにその附属書類であり、これに何らの隠蔽を施さないまま公表するときは、国家公務員法一〇〇条、法人税法一六三条、所得税法二四三条の諸規定を有名無実なものとし、申告納税制度或いは税務行政の執行に重大な支障を及ぼすこと必至であり、国家の利益又は公共の福祉に重大な損失ないし不利益を及ぼす結果となる。

別紙(三)  反論書

一、被告は意見書第一点において「本件文書は民訴法三一二条一号の引用文書にあたらない」と主張し、右引用とは文書所持人が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにすることであると述べている。

「引用」の意義については、文書そのものを証拠として引用することを意味するという説と当事者が文書の存在を引用していれば足りる説(菊井、村松コンメンタール民訴法Ⅱ三七八頁)があり、原告は後説が正しいと考え、また後説に従つた判例も存する(東京地裁昭和四三年九月一四日決定判例時報五三〇号一九頁)。

よつて被告主張は理白がないし、仮りに被告主張に従つたとしても被告は本件文書を被告主張の推計所得計算の合理性立証のため証拠として提出したものであるから提出義務を負うのは当然である。

被告は本件文書の隠蔽部分は提出しなかつたのであるから「引用」とはいえないと主張している。右主張が詭弁にすぎないことは余りに明白である。民訴三一二条の法意は、訴訟当事者が特定の文書の存在を引用して自己の主張の助けとした以上、該文書の秘密保持の利益を放棄したものと解され当該文書によつて証明されるべき事実関係が訴訟上重要性を有する限り、相手方より該文書提出申立があれば、採証上の合理性を確保するため該文書を提出させて相手方の批判にさらすべきであるということである(同趣旨昭和四〇年五月二〇日、東高決定タイムズ一七八号一四七頁)。従つて被告が本件文書のうち一部を隠蔽したまま自己の主張を裏づけるため引用した以上、原告は本件文書の成立および内容の真偽について批判するため本件文書の全体につき提出を求めうるのである。

右法条の法意が、訴訟当事者間のクリーンハンドルール、事実発見にある以上この結論は当然である。

二、被告は意見書第二点において「秘密保持の要請による本件文書提出義務の不存在」を主張し、民訴法第二七二、二七三、二八一条一項一号を類推適用すべきであると述べている。

しかしながら真実発見の重要性を強調する民訴法訴訟手続において右各法条の存在は極めて例外的位置にある。従つて右各法条の安易な類推適用は避けなければならない。準用するとの明文がなくまた書証の提出と証人尋問とでは性格を異にすることから右各法条を民訴法三一二条の場合に類推適用することは出来ないと言うべきである。(同趣旨判例昭和四三年九月一四日、東京地裁決定判例時報第五三〇号二〇頁)

また被告は国家公務員法一〇〇条二項の「職務上の秘密」にあたると主張している。

原告は「職務上の秘密」に該当するか否か争うものであるが、仮りに該当するものならば、被告は当初より本件文書を証拠として提出できなかつた筈ではないか。

被告の主張は要するに、自己主張に不必要な部分は隠蔽して必要部分のみを提出し、原告からの書証に対する批判は「職務上の秘密」によつて完全遮断し、民訴法三一二条の提出命令、同三一六条不提出の場合の各規定を排除して真実発見を阻止しようとするもので、余りにも得手勝手で訴訟当事者間におけるクリーンハンドルールに反する。

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